昨今のオールドゲームブームと言うんですか?そんな感じで、今まで当店でもやりたかったけど店舗を維持するために、そっちの方向へは微力程度しか力を注げなかったコンテンツが、ようやく商売として維持できるようになり台数も増台中の当店で有ります。
さて、GWに突入して多くの県外遠征のご来客を迎える日々となっております。大変嬉しく、思いながらも都内にはもっと多くの台数を完備したお店も多々有るので、期待外れにならないかとTwitterやメールで頂く来店予告のお言葉を拝見させていただいております。
そんな感じでは有りますが、ご来店のお客様よりうかがうお声は当時の長岡キャロットハウスへ通っていた方々や、各地元のキャロットハウスへ通っていた方々の思い出話なども多いです。
ゼビウスなどが第一次ナムコブームだとするならば、私は源平以降の第二次ナムコブームの世代です。
確か高校受験の時にラジアメとか聞いていたので、そこでの番組内容でNGを貰いに行ったりサントラカセットやポスターなんかも買いに行った記憶があります。中学生時代なので高校生以上がメインだったキャロットハウスは少々居心地が悪く(本当に悪い意味じゃなく、大人層メインのお店だったため。)、高校生になるまでは遊びに行くことはあまりありませんでした。
私自身は親が寛容といいますか・・・考え方の幅が広い人でしたので、小学生の時から親の買い物を待つ間にデパートのゲームコーナーで遊ぶような少年でした。親もゲームコーナー店員のお姉さん???と「学校がゲームコーナー出入りを禁止するのは行きすぎている」などの会話をしていたのを鮮明に覚えていますし、そんなような親でした。ちなみに、健在です^^;
当時のデパート内ゲームコーナーで初めて遊んだビデオゲームは多分、テニス系のテーブルゲームだったと思います。歴史をたどればその当時(たぶん幼稚園児)にはすでにスペースインベーダーが有ったと思うのですが、わたしが遊んだのは小学生になってからです。ナムコのサブマリンとかピカデリーサーカス、シガー菓子が出るようなゲームなどが小学生低学年当時のプレイの思い出です。
小学高学年になってから電動ラジコンブームが到来して、デパートの屋上で開催されるレースなどにも出場するようなっていました。当時、一番中よかった友達のご両親は自営で割烹を営んでおられたため、土日も遊びに連れて行ってもらえるような環境で無かった事も有りまして、俺の親が釣りやラジコン大会なんかにも友達グループを車に乗せて連れて行ってくれるような環境でした。
そして、そのデパートの屋上で開催されたラジコン大会会場の同テナントに有ったゲームコーナーで遊ぶようになったのが、本格的なゲーセン通いのきっかけです。その当為は「ディグダグ」「ギャラガ」なんかを遊びつつもサバイバルゲームに興味を示しつつ有った(多分、映画ランボーの影響^^;)我が友達グループだったので「戦場の狼」を夢中になってやっておりました。
たしか・・・そんな小学5年生から小学生6年生になって、校区外にもかかわらずチャリンコで出向いた(当時も僕らのグループはやんちゃでしたので)ショッピングセンター「長崎屋」(喜多町)のゲームコーナーで初めて目にして、衝撃を受けたのが『沙羅曼蛇』です。とにかく、音声合成も珍しい時代にぺらぺ〜ら喋るボイスは新しい技術や時代に触れている感じで友達とともに虜になりました。
その時、ちょうどゲーメストの第二号が発売された時で、そこで未知の色々なゲームを知りました。が、しかし小6〜中学1年当時ですから、親がいなければ自転車で行動できる範囲が限界。自転車で30分の距離のその「長崎屋」に通い、沙羅曼蛇を1回して帰るのが本当に限界した。中学の時は自転車通学の帰宅路を遠回りすれば行けたのでほぼ毎日、道草でゲーセン通いでした。お小遣いも当時は月間1500円程度でしたので1プレイ100円の「沙羅曼蛇」は2日に一回くらい、一年に一度のお年玉を計画に使って遊んでいました。多分、その当時がいわゆる親の世代はバブル時代だったと思います。
そんなかんじで、とにかく「沙羅曼蛇」の衝撃はとにかくファミコンしか知らなかった僕らにすざましいものがありました。ファミコンに移植されてもゲーセン版を知っている僕らとしては、知らない奴らに対して本物を知っていると言う優越感がありましたし、その後に出てくる「源平討魔伝」でのデカキャラの衝撃、「アウトラン」アフターバーナー」での動く筐体と画面描画のスピード感やFM+PCMのBGMなど、ゲーム基板の進化自体を体感できる時代を共にするとこができました。
その後、一年ぐらいで「沙羅曼蛇」をクリアできるようになると、そのゲームコーナーに入ったゲームはかたっぱしからクリアを目指すようになり、『ゲームを攻略するよりゲーセンを攻略する』そんなキーワードで色々なゲームをクリアsて行きました。そのあと、高校生になったからの話はまた機会がありましたら書きたいと思います。
でわぁ、もう朝なので寝ます^^
当時のあだ名が「ゲーセンおたけ」と呼ばれていた私でした。
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